事業プラン

過去に何度か、節目と言うべき震災後10年の時には、被災地の復興はどのようになっているのだろうかと漠然と考えることがありました。今、その時を迎えて無数の評価があると思います。しかし、復興の是非を検証したとしても、それは現在の立ち位置から見たものに過ぎず、それをもってこの10年のその時々の判断が正しかったかどうかを正確になぞることは出来ないように思えます。少なくとも、私自身は復興支援を続けてきたことに達成感などほとんどないのが事実であり、それが何故かと掘り下げてみることの意味も感じません。

私は、公益活動に自己実現という考えは、あまりなじまないものであると思っています。今、何を考えるべきかと言えば、明日に向って自分たちの理念を貫いていくことしかありません。幸いなことに、私たちは10年間中断することなく活動を続けて参りました。それによって多くの方々と出会い、様々な絆をつくることができました。このかけがえのない財産を胸に、これからも明日に向かって出来ることを一歩ずつ紡いでいくことが、私たちの使命であると信じています。

震災後10年を前に、羽生結弦選手に協力していただき「10年明日へ」という言葉を掲げたポスターを制作致しました。すべての皆様が明日を信じ、お互いを思いやる心を持って生きていって欲しいという願いを込めました。震災を知らない小学生への啓発を考え、被災地すべての小学校への掲示を提案しました。今、多くの小学校からポスター掲示の便りが届いています。

最近の震災の報道に接し、とてもうれしいことが1つあります。震災を体験した少年・少女が社会人になって、それぞれの抱負を話している姿は、日本中のどの地域の若者より凛々しく輝いて見えるのです。大きな苦難を経験し、それを自らの成長の糧に変えたのであろう“気”を強く発散しているのです。これこそ、人間の人間たる証であり、新たな進化に向けた一歩なのではないでしょうか。

彼らがこれからの日本を引っ張っていく大きな力になっていくことを確信しました。彼らこそ、震災を経た日本の確かな復興を示す姿であると思います。そして、直接には震災の記憶のない小学生たちも、震災のこと、そして自分たちが生活する地域の人々との絆を心に持ち続けてくれることで、また10年後大きな花が開くのではないでしょうか。それこそが、私たちの最上の喜びです。

 

令和3年3月10日

 

東日本大震災雇用・教育・健康支援機構

理事長 田中 潤

全日本選手権で、羽生結弦選手が圧倒的な成績で優勝しました。4位以下と力の差が際立ったトップ3の中でも次元のちがう得点を出した演技は、言葉にできないような完成度でした。

フリープログラムではまた新たな風景を見せてくれました。静謐な佇まいから始まった演技は、場内に澄み切った緊張感を醸し出しました。一つ一つの動きは、本当に丁寧であり、自身の世界を大切に築き上げていくように感じられました。「見ていただいた方の背景に訴えかけたい」という哲学的なメッセージは、私たち一人一人が今置かれている状況に勇気を与えてくれるだけなく、あるべき生き方を示す言葉として受けとめました。

今の日本社会は、相互扶助の具体的活動や思いやりの心を持ち続けていくことが非常に難しくなっています。コロナ禍の不安定な毎日は、一層人々のコミュニケーションに影を落としており、小さなことでの諍いも日に日に増加しているように思います。そうした背景を持っている私たちに、どう生きていくべきかを真剣に考えていかなければならないということを演技で明確に示してくれました。羽生選手、本当にありがとう。

 

震災からまもなく10年を迎えようとしています。誰かのことを思いやる心を、私たちは何よりも大切に持ち続けていかなければなりません。

 

令和2年12月29日

 

東日本大震災雇用・教育・健康支援機構

理事長 田中 潤

被災地は震災から9年後の春を迎えます。今年は、コロナウイルスの蔓延で、あの年以来の非常事態を感じる3月になってしまいました。

ところで、不特定多数の人々の公益を考え続ける身として、今回のコロナウイルス問題で心配していることがあります。日本におけるコロナウイルスの検査体制が極めて脆弱な現在、散発的な感染者の発生に応じ、その感染者が立ち寄った施設などは徹底的に除染され休業も余儀なくされています。それは、当然必要なことではあるのですが、どれだけ隠れた感染者がいるのか分からなくなっている現状で、感染が見つかるとそこだけが強く危険地域としてクローズアップされることに異和感を感じます。

感染者が出た施設、更にその地域は、特別な場所として注目されることで経済活動においても大きなダメージを受けます。こうしたことに遭遇した方々が今後どのような補償を受けられるのか全く分かりません。施設を運営する企業が立ちいかなくなった時、そこで従事する人々の生活にも重大なリスクが生じます。これについて政府が目配りしてくれるのだろうか大変心配です。

また、全国的に外出が激減する中で、3月の繁忙期を迎えた飲食店やイベント会社は大幅な売上減少が予測されます。その多くが零細企業であるだけに、1カ月の収入減が事業の存続にも直結し倒産を余儀なくされることも充分考えられます。経営者のみならず、そこで雇用されている方々は一瞬にして明日からの生活の糧を失ってしまうのです。ようやく正常な事業活動を始めた被災地の飲食業者は、内部留保も少なく資金的にも不安定な所が多数あります。こうした方々を直撃する外出自粛、会食中止の連鎖は経営に深刻な打撃を与えていくでしょう。公益的な観点から弱者への救済措置が公平になされるのか私たちは、政策をしっかり見守っていかねばなりません。

そもそも今回の事態の主因は、感染者が生じた場合のリスクについて何ら具体的な検証もせず、政府が安易に海外からの入国を認め続けたことにあります。初期段階で政府が最優先に国民全体の幸福のためにどうすべきかを具体的に講じることが求められていたわけです。結果的に、感染者の検査もままならず、感染者の発生に伴なう2次災害を放置してきた今までの政府の対応を鑑みると、公益を担うという責任意識を持つことの重要性を改めて感じてしまいます。

私たちは、今の日本の厳しい状況をしっかり見つめ、改めて気を引き締めて公益を担う責任意識を忘れることなく、被災地支援活動に向き合っていかなければなりません。

 

                                                       令和2年3月6日

                                            東日本大震災雇用・教育・健康支援機構

                                                      理事長 田中 潤

東日本大震災から8年が経ちました。復興支援という合言葉で、日本中の人々が被災地のことを想う繋がりの形は力強く育ちました。それは、全国規模の災害が頻繁に起きるようになった最近の日本の環境と無縁ともいえないかもしれませんが、今後も気候変動による災害が予断できる状況にない中で、様々な人々の繋がりが深まったことは助け合いの観点から大きな前進です。

私たちは、震災を機に公益社団法人東日本大震災雇用・教育・健康支援機構を設立し、東北を中心に様々な支援活動を行って参りました。昨年からは東日本大震災の記憶の風化を防ぐこと、そして、新たに発生した被災地の支援も行うことを方針として掲げ、活動を進めています。

誰もが、自らに起きるかもしれない災害の恐ろしさを忘れずに被災地のことを想う環境づくりを推進します。誰もが、誰かのことを思いやることが出来るように、その心を育んでいけるような活動をして参ります。

これからも、東日本大震災のことを決して忘れず、被災地の支援活動に取り組みます。どうぞ、よろしくお願い申し上げます。

 

 

平成31年3月11日

 東日本大震災雇用・教育・健康支援機構

理事長 田中 潤

 


 

平成30年9月12日、13日の両日、岡山県倉敷市真備町と小田郡矢掛町を訪問しました。以下、何人かの方からの水害直後の聞き取りと現状の報告です。なお、聞き取りは町中で支援に従事しているなど信頼できる方々からのものですが、こちらの聞き取りにおいて誤りなどがあることは否めないことをご了承ください。

【被害の状況】

豪雨による小田川の決壊で真備町の市街地はほとんど水没し、海のようになり、最も被害の大きいところでは2階家屋をすべて飲み込まれるという状態となりました。小学校2校、中学校2校、高校1校も浸水して、現在も生徒は他の学校で勉強されています。
中心地の箭田・有井が特に被害が甚大で、現在住民は避難所・みなし住宅・町外等に分かれ、生活しており、夜は町中から人がいなくなります。
避難所に登録することで義援金(1人40万円)は行政から支給されており、食料物資も定期的に配給されているようです。但し、登録せずに、自宅の2階に残っている人など支援を受けていない人もいる模様です。建物は、断熱材に泥が入り、修理しても建替えしても同程度の費用(いずれも2,000万円)が掛かる見込みとのことで、今そのことが住民にとって最大の課題となっています。
真備支所近くのボランティアセンターには、ボランティアの方が集まり、そこで指示を受けて、家々の掃除を中心に活動に行かれています。
真備町は一戸建てが多く、それらが全壊という状況です。現在、避難所は3ヵ所で約220人の方が避難生活を送っており、最も大きい岡田小学校体育館には110人の方がおられました。他に薗に40人、二万に70人います。更に、近くの真備荘という介護施設に介護の必要な40人の方がおられます。避難所では保健の専門家が毎日被災者の健康管理をされています。避難されている方々ですが、学生はスクールバスで町外の別の学校に通い、大人は個々に職場に行かれたり、自宅の清掃をされています。
避難所は当初2,000人もの人がこの体育館に詰め込まれ、冷房もなく、10日間はごろ寝という状況だったとのことです。また、近隣の総社市でアルミ工場の爆発もあり、体育館のガラスが何枚も割れるなど突発的な事故も続いたとのことです。
避難所の生活ですが、朝6時に起床。梅・昆布・鮭などおにぎり3個が支給され、昼は菓子パン・調理パンの2個が、夜は弁当が支給されます。他に避難所にいない方にも弁当を配っているとのことです。今は缶詰が少し付くこともあるようですが、民間からの食料支援は少ないとのことです。
おにぎり・パンは2カ月間全く同じ繰り返しであり、弁当も衛生上の見地から冷たくしたものがふるまわれるとのことで、食の不満はかなり大きくなっています。町内の飲食店も壊滅し、厨房もないので、炊き出しなども出来ないようです。開いているのはコンビニだけです。農業の方も機械がやられたことで多くの滞りがあるようです。避難所はシャワーのみで、風呂は1日2回バスで銭湯へ行きます。
今回の水害は、今年の秋から元々小田川の工事をする予定だった矢先に起きたとのことで、20年かけて工事の予定だったところを、今回の事態で向う5年で行うとのことです。
明治26年高梁川決壊、昭和47年小田川決壊と過去にも水害はあり、ハザードマップなどでかなり注意はしていたようですが、今回の規模は桁外れのものだったようです。夫婦だけの家はもう建て直し(再建)しないで、復興住宅に入ることも多いのではとの見通しのようです。市長は今避難している人が戻ってこられるように、現地で復興活動している人には頑張って欲しいと言っているそうです。
真備は岡田・箭田・薗・二万・呉妹・服部・川辺の7地区があり、それぞれ町づくり推進協議会を作っており、岡田の会長である黒瀬正典様にお忙しい中、いろいろお話を伺いました。明日は天皇陛下をお迎えするとのことです。
市街地を廻ると確かに一戸建ての新築家屋が全く人気のない中で整然と並んでいます。多くの家が1、2階とも窓を全開し、中の物は整理されているようでガランドウとなっています。駐車場の車は一面泥を被ったままものもありました。夕暮れ、小田川の広い土手の上の道からこの住宅街を見ると、どの家も暗い口を開けているようで、異様な感じを受けました。家が全く無くなった津波の被災地、閉じまりした家屋が続いた原発被災地とは人気のないことは共通するもののまた違った違和感、つまり、水害の恐ろしさを改めて感じました。
流れる川を見るとなんとのどかなと思われる美しい光景です。あんなにも下(高さ10m以上はあるでしょうか)を地味に流れている川が町を呑み込むなんて誰が予想するでしょうか。今回、最も強い衝撃を受けた時間です。
その日は、隣町の矢掛町に宿を取りましたが、この辺りは全く水害はありませんでした。過去に川が決壊した経験から早めに排水をするということが功を奏したようで、5m〜6mの高さの土手は残り70cmで治まったそうです。しかし、小田駅の付近の川は決壊し、その地域にある中川小学校は市内7校の内唯一浸水し、生徒は現在も他の学校に通っています。ただ、避難所に避難している人はいないとのことで、町民の生活は安寧が保たれたようです。
水害直後は一部店舗など浸水したところもあり、ボランティアの方も来られましたが、車に置いていた貴重品が盗まれるなど盗難が度々起きたとのことでした。
矢掛町は田が多く、水が早く引いたということも新興住宅地の真備と比べ、被害が少ない要因とのことでした。そして、小田川が決壊し、先に真備に流れたため矢掛町には来なかったことも大きかったようです。中川小学校は小田川のすぐ横にありますが、やはり今見ればあんなに低いところを流れている川が小学校の1階を丸々飲み込んだということは驚きしかありません。
児童の一時的な移動先の川面小学校に小田校長先生を尋ね、お話を伺いました。水害直後、校舎は大人の胸の高さ、体育館は背の高さまで水が入り、什器・備品・消耗品はすべて災害ゴミとなりました。細菌の蔓延も危惧され、すべて捨てました。8月10日までボランティアの方々が清掃をしてくれました。その1カ月はとにかく大変で、血圧もかなり高くなられようです。
被災を受けたのは中川小学校だけであり、まだプレハブも建てられない状況であり、(真備町は9月末に完成予定)児童の学力補償が懸念されます。3学期までに元の形に戻ることができるか、備品等の対処が間に合うかなども心配です。
今、スクールバスで生徒の送迎をしていますが、乗り降りなどのケアーを教職員が行っており、勤務負担は確実に増えています。また、土日など時間外勤務も多くなりましたが、給与補償も出来ない状況です。町では、教育支援員・事務員・教師アシスタントなどを増員で対処してくれていますが、全体的に町としても人手がいないことが心配です。被災した生徒の家は床下・床上合計5軒ほどあり、アパートを借りるなどされています。児童の心理状態も水害により受けた不安感・恐怖感がまだ継続している子も一定数いるとのことで、今後のケアーが大切と認識されています。
その後矢掛町の役場を訪ねたところ、全く静かなもので、来場者もほとんどおらず、昨日訪ねた真備町の役場での相談者で混雑している状況とは雲泥の差という感でした。災害被害の紙一重の重さを改めて感じました。
再び、真備の町に戻り、復興支援拠点の真備公民館岡田分館を訪ねるとボランティアセンターにもなっており、多くの方が業務をされていました。水や消耗品など物資の無償提供も行っており、ボランティア派遣のピースボート様は月曜日と木曜日には食料の提供もされているとのことでした。例えば、温かいご飯とみそ汁、漬物100人前が30分でなくなるなど、需要に追いつかないとのことで、毎日のパンの配給、時々の弁当の配給も沢山の人が並ぶことも多いようです。物資の配給をマネージメントする町づくり推進協議会の方々も、如何に公平にたくさんの方に上手に配るかいつも頭を悩ませておられます。
隣の地区の川辺は、町づくり協議会の幹部の方が被災してうまく機能できていない面もあり、そのサポートもしていきたいとのことでした。地域の中で、民間の方々の思いやりとエネルギーの強さを話に聞くにつけ、頼もしく感じました。
私たちは微力ではありますが、私たちの理念である「今必要なところに迅速な支援をお届けする」という思いを強く心に刻んで、真備町を後にしました。

平成30年9月16日
東日本大震災雇用・教育・健康支援機構
理事長 田中潤

東日本大震災から7年が過ぎました。この災害に対する記憶は、年々薄らいでいます。直接被害を受けていない地域の人々にとって日々の生活の中での風景は、震災によって何も変わっておらず、主に情報の中で知った被災地の姿は情報が減るにしたがって忘れていくのは仕方のないことです。一方、被災地でも震災を体験していない子供たちがいつのまにか主流になってきています。

人の記憶の始まりを4才〜5才とすれば、今の小学生のほとんどは震災の記憶がないのです。震災の恐ろしさとそのための備えの大切さ、そして、被災した方への思いやりを日本中の人々が意識し、考えていくことが大切な時期を迎えていると強く感じています。少しでも多くの人々にその気持ちを呼び起こすことが、今私たちの出来る復興支援活動の一つの在り方だと思います。

今回作成したポスターは、平成23年弊機構の設立以来復興支援のシンボルとして協力いただいている羽生結弦選手に、その呼び掛けの顔としての役割を担ってもらっています。「東日本大震災を忘れない」ということをシンプルに伝えることで、震災があったことを人々の記憶の中に長く留めてもらいたいと思います。

今年、日本中の人たちを感動させた羽生選手の記憶と共に、羽生選手が常に念じている被災地の方々を元気づける行動を少しでも多くの人がとってくれることを祈念します。また、今回、作成するポスターは被災地の小学校に無償で配布します。直接体験をしていなくても、震災後被災地で育つ子供たちは、様々な思いがあるはずです。自分の周りの人たちが体験した東日本大震災という事実を、真直ぐに受けとめるアンテナを持ち続けてもらえればと思います。

平成30年5月30日
東日本大震災雇用・教育・健康支援機構
理事長 田中潤

6月に大槌町の仮設廻りをした際に、今迄も度々お会いしている70代後半で一人暮らしの女性Mさんと、1時間ほど立ち話をしました。息子さんは公務員で別の地域で暮らしており、ご本人は仮設住宅に住みながら、軒先で細々と小売業をしています。一日に何人かの人が買い物に来、いろいろなお話もしていくようです。

今回初めて震災の時の話などもされましたが、ほとんどMさんが話し手でした。津波の恐ろしさ、損害保険を震災直前に解約していたため住宅再建に大きな負担を抱えていること、津波で流された自宅のあった場所とは遠く離れた所で空っぽの金庫が見つかったことなど、一つ一つ身につまされるお話でした。更には、つい1週間前に家の前で育てていた花の咲いているプランターが盗難にあったとのことで、やるせない思いのたけを伺いました。

それでも元気に毎日を送っていることが言葉の端々から浮かび上がってきて、温かい気持ちになりました。自宅再建や資金繰りの相談など「私でお力になれることがあれば」と、継続的に連絡を取り合うことを約束してお別れしました。

私たちのコミュニティー活動は、こちらから"見守りをする"という向き合い方だけでは、ご本人から自然にご連絡いただくことはとても難しいようです。良いことだからといってスムーズにコミュニケーションを作っていけるというわけにはいかないのです。少しずつ時間をかけて、一人暮らしの方とのパイプを築いていきたいと思います。

平成28年7月23日
公益社団法人 東日本大震災雇用・教育・健康支援機構
理事長 田中潤

企業は社会貢献をするべきである、という考え方は当たり前のこととされているが、現実には利益追求をすることで利害関係者の欲求を満たすことが最優先である以上、無駄なことにお金を使うことは出来ない、と考えている経営者は多い。課税庁も同じ考え方から抜け出せず、広告宣伝費という名目では巨額な垂れ流し経費の損金性を認める一方で、公益活動を行なうために使われる寄付金は基本的に損金として認めていない。つまり、寄付をすることを事業としては認めていないのである。

巨額な内部留保利益を有する日本の大企業の思い切ったお金の使い方、すなわち、投資においてはこの概念を打ち破ることが非常に重要である。ただ寄付をしましょう、ということではない。公益活動にお金を使うことを、事業と結びつけて考えていきましょう、ということである。これは利益最優先でなく、リスクは高くても公益性のある事業には、赤字覚悟で積極的に投資をしていくことを意味する。そして、事業なのだから当然使われたお金は損金として、収益から控除出来る。こうした形での事業を、これからの被災地の復興のために行なって欲しいのである。

その多くが過疎の町である被災地への投資は、事業としての採算性は乏しい。しかし、大きな企業が一定の予算を設けて事業参加すれば、それだけで地元に大いなる元気を生む。そして、事業が軌道に乗れば、地域が活性化するだけでなく、投資した企業も一定の利益を獲得する可能性がある。仮に、具体的な数字上の利益は上げられなくても社内意識の向上をもたらすと共に、公益事業を行なっていることで社会貢献を成し遂げられる。下らないテレビ番組のスポンサーになってお金を浪費するより、よほど有益な広告宣伝にもなるのではなかろうか。

海外ではソーシャルインパクトという概念が普及してきているようだ。投資家たちの間で資金の運用先として、公益事業への投資が活発化しているのである。税金対策とは別の次元で、こうした事業への参加が進んでいるのは注目すべき点である。日本の企業の場合、こうした投資は損金性に繋がることで所得の合理的な活用という面でも大きなメリットがある。多額の利益を計上している企業は、是非、この取り組みに参加し、被災地に元気を与えて欲しいのである。

平成28年7月20日
公益社団法人 東日本大震災雇用・教育・健康支援機構
理事長 田中潤

【仮設住宅の存在】

東日本大震災から5年が経過しようとしています。復興がどこまで進んだかという判断はそれぞれの人で大きく分かれるところですが、大きな問題点であることがはっきりと明らかになっていることがあります。それは仮設住宅の存在です。

阪神大震災の時は5年後には仮設住宅は無くなったと言われていますが、現在東北では、未だ数万戸の仮設住宅に暮らす方々がいます。多くの人々が自分の家で心穏やかに生活するという最も基本的な権利を失ったままであり、住環境という点を鑑みれば復興は全く進んでいないと言わざるをえません。

実は、震災1〜2年目よりも深刻な問題も生じています。それは仮設住宅に住んでいる方たちの孤立化です。この5年の間に多くの方々が被災地を離れて行きました。また、復興住宅の建設や自力で自宅を再建し、移転して行かれた方々も沢山います。その結果、今仮設住宅には空き家が急増しています。

新たな住居を設けることが出来たことはもちろん良いことであり、すべての方々がその形にならなければいけません。しかし、今現在、新しい住まいに移ることが困難な方が決して少なくない、という現実があるのです。こうした方々にはそれぞれの事情があり、結果的にいつ全員の仮設住宅からの脱出が可能になるのか不透明な状況です。

【5年間の重み】

そして、様々な問題が積み上がっています。元々、耐用年数が2年程度である仮設住宅の老朽化は喫緊の課題です。居住者が少なくなったことにより、定期的に巡回してきた食料品や雑貨など生活必需品を扱う移動販売車が減少したのも、それぞれの業者が営利事業であるという事情を考えれば当然です。居住者を見守る行政やボランティアの体制も資金不足などの影響で減少してきています。何よりも5年という歳月を重ねたことによる居住者の高齢化は、人々の日々の営みの中で、心身両面から重荷を増しています。

【コミュニケーション支援】

私たちはこれからの最重要活動の一つとして、孤立化する恐れのある被災された方々とのコミュニケーションに力を注いでいきたいと思います。具体的には、まず大槌町にて、高齢で1人住まいの方々に定期的なコミュニケーションコールを始めます。同じ担当者が定期的に電話でご連絡をして5分程度お話をします。健康確認や何か要望がないかの聞き取り、町内の行事の情報提供など日常のあれこれをやりとりします。要望に応じて、弊機構の大槌町コミュニティーハウスどんりゅう庵からスタッフが出動するという体制も整えて参ります。また、どんりゅう庵で定期的に行なう無料のカレーパーティーやお茶会などの行事に送迎して楽しんでもらうことを考えています。一つの見守りサービスとも言えますが、もう少し踏み込んで仮設住宅の皆様が自分から積極的に発信をして、活動出来るような形を考えていきたいと思っています。

【継続の覚悟】

私たちは行政からの助成は一切受けておらず、自主財源にて事業を進めております。当然、活動予算は限られますが、その一方で、誰かの指示や拘束を受けることなく、今必要を感じた支援活動を速やかに行なうことが出来ます。運営スタッフも機構と経済的雇用関係は無く、ボランティア形式で参加するという特異な運営です。行政組織の如く権威を振りかざしたり、予算に縛られ密室化している多くの公益法人の在り方とは一線を画した運営を心掛けています。

こんな私たちが行なう復興への取り組みは、蟻の一歩に過ぎません。しかし、明日を信じて絶対に途切れることなく活動を継続していくことを心に刻み、被災地の復興に向き合っていく所存です。

平成28年2月1日
公益社団法人 東日本大震災雇用・教育・健康支援機構
理事長 田中潤

平成26年11月8日フィギュアスケート、グランプリシリーズの中国大会で羽生結弦選手が新たなインパクトを私達にもたらしました。フリーの直前練習で中国選手と激突し、氷上でしばし動けず体が震える、という姿がライブ放送で伝えられました。

病院搬送も止むなしとも思われるような状況でしたが、一度治療をした後、頭に包帯を巻いて再び氷上に現れました。感動というよりも「倒れないで」との思いで、その動きを追うばかりでした。フリーの演技では、誰もが最後まで無事でいることだけを祈って見守るという異様な時間の中、何度も転びながらも滑り切ったのです。

結果は優勝者にわずかに及ばず2位でしたが、彼の発した「気」はオリンピックの優勝にも劣らない迫力がありました。その中で改めて感じたのは、フィギュアスケートの孤独です。怪我をして出場するかどうかも、他のスポーツのように監督やチームが決めるわけでもなく、自ら決断したようです。それは氷上で、ただ一人で滑り切らなければならない宿命と同質のものなのでしょうか。

強行出場した羽生選手の決断には様々な意見があるかもしれません。しかし、羽生選手の示した選択には、単なる良し悪しでは測ることのできない何かを感じました。そして、震災支援に対する思いを語ったオリンピックでのインタビューが思い出されました。「金メダリストになれたからこそ出来ることがあると思う」という覚悟です。彼の「気」は、全く進まない東日本大震災の復興に対する人々の孤独な戦いを気遣う思いの結晶に他ならない気がします。彼が発信する思いが、また必ずや震災復興の大きな力になっていくと思います。

羽生結弦選手、ありがとう。ただ、くれぐれも体は大切にしてください。

平成26年11月10日
公益社団法人 東日本大震災雇用・教育・健康支援機構
理事長 田中潤

人は日常の意志決定において、自分や他人の行為について様々な形で善悪の判断をします。特に、他人の行動に対しては自身の不利益になることも多いので、「悪」と考える事柄は無数にあります。但し、そのほとんどは些細な事なので、相手にそれを質す間もなく時の経過とともに忘れてしまいます。一方で、国と国、或いは民族間で生じる善悪の判断の相互対立は、時として大きく膨れ上がり、最終的には戦闘に結びつくことがあります。

昨今、世界の各所で起きている事態を見ても、第3者の立場では、なぜそこまで対立するのか、そして、どちらが善なのか判らないことも多いような気がします。特に、宗教対立においては当事者は互いに自己を善として、異教徒に対しては、ただそれだけで悪と見なしてしまうことも多いのではないでしょうか。

しかし、善か悪かという判断は、お互いの立場、地域、或いは、時代によって大きく変わるものであり、普遍性はありません。だから、相手を絶対的悪と決めつけることで起きる戦争は、それ自身矛盾に満ちています。

ところで、日本古来の宗教は多神教であり、また、宗教観においても善悪をともに受け入れる資質を日本人は自然に育んできたのではないでしょうか。

先のワールドカップで日本人サポーターが日本チームの敗戦後、会場内の清掃に携わったということが報道され、世界の人々も感銘を受けたようですが、勝敗に関わらず、自分の志を持って行動するということは、日本人の心の一面を浮き彫りにしたように思います。私はこの志のバックボーンとして無駄を大切にする心を感じます。愚直に他人のために、自分にとっては無駄だと思うことをすることは勝ち負けを超えた独自の思想ともいえます。

それは勝負、或いは善と悪という2つの対立概念を超越した自由な状態です。但し、その行動の基本には、常に他人への思いやりの心があるのです。そしてその心があれば、仮に人から悪と批判されることであろうとも、胸を張って取り組めば良いのではないでしょうか。善悪という基準で問題を割り切るのではなく、その根っこに思いやりがあるかどうかが重要な事なのです。

被災地支援という活動は、一つ一つの物事どれも善悪で判断してはならない活動です。被災地での様々な事態は、その時々或いは被災した人ごとに、千差万別の事情があります。彼らが頑張ることを手放しに善と思い込まず、頑張らないからといって悪であると決めつけてはいけない。一方、こちらも自分達の活動が自己実現につながることを期待してはいけないし、ましてや、活動の理念を善などとは絶対に思ってはいけない。我々は、何事も善悪で見切らずに自分にとっての無駄を是とする志と思いやりの心を持ち続けることが継続支援への道だと思います。

平成26年8月8日
公益社団法人 東日本大震災雇用・教育・健康支援機構
理事長 田中潤

一般社団法人 東日本大震災 雇用・教育・健康支援機構

〒231-0015 神奈川県横浜市中区尾上町1-4-1 STビル10階
TEL:045-228-8624 FAX:045-228-8475