北京オリンピック男子フィギュアスケート、フリーで羽生結弦選手が史上初めて4回転アクセルを跳び、公式認定されました。転倒したものの、競技後の彼の誇り高く清々しい姿に、世界中から感動の波が押し寄せました。

 オリンピック2連覇の後、次のオリンピックで4回転アクセルを跳ぶと公言し、遂にそれを成し遂げたことは過去の金メダルの取得と比べ何ら遜色はありません。実をいうと、個人的には、仮に4回転アクセルをせず、3連覇したより遙かに重要な出来事であったと思っています。

 話は変わりますが、私は以前から、「自分にとっては無駄だと思うことを積極的にすべきである」と言い続けています。物的事象について合理的に考えることは論を俟ちませんが、人に対する心の有り様は全く異なるものと考えています。

 人間関係において、合理的な思考で相手と向き合うことは決して望ましいことではなく、主観的には非合理と思うことをする方が、相手にとっては嬉しいこと、助かることが数多くあります。それは、「思いやり」という言葉で表すことが出来ます。日々、それを実践できるかというと大変難しい課題なわけですが、「無駄なことをする」という具体的な指針を持つことで、自身が慣らされている合理的思考を遠ざけることが出来ます。そこで、私は敢えて無駄をしようと思うことにしています。また、無駄なことをすると、不思議に心も解放されることも多いようです。

 さて、羽生選手の4回転アクセルは、私が思うには大変非合理な挑戦であったと思います。彼の技術・能力をもってすれば、4回転アクセル無しでもオリンピックでメダルを取ることは確実であり、リスクのある転倒も避けられたことでしょう。そもそも、4回転アクセルに挑み続けた練習においても、おそらく桁違いの転倒を続けてきたことでしょう。自らの体を痛めつけ、失敗の虚しさを積み重ねて、4回転アクセルの体得に向った日々は合理性とは対極にあったと推察します。

 むろん、そうした現場には立ち会えない私たちですが、競技の中の一挙手一投足を見て、そうした場を乗り越えて来た人だけが持つ静かで荘厳な雰囲気を感じたのは、私だけではないと思います。

 非合理に挑み続けた温もりある一人の人間の姿に触れて私たちは、誰かに勝って金メダルをとった人よりも、自分自身の生き方を貫いた羽生選手を真の勝者として受けとめてしまうのではないでしょうか。

 震災後11年になろうという今なお、多くの人々が真の復興に向け、厳しい日々を送っておられます。様々な場面での合理的な物事の進め方に苦しむことも少なくありません。羽生選手が非合理に挑み、見事にまっとうした姿を見て、誰もが明日に立ち向かう勇気を得たと確信しています。

 羽生結弦選手、本当にありがとう。あなたの3度目のオリンピックは、間違いなく今までで最高の感動と生きる勇気を私たちに与えてくれました。

 

令和4年2月21日

 

東日本大震災雇用・教育・健康支援機構

理事長 田中 潤